国立国会図書館デジタルコレクション
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国立公文書館 デジタルアーカイブ
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IIIF(トリプル・アイ・エフ)国際画像相互運用性フレームワーク
IIIF(International Image Interoperability Framework)とは、画像を中心としたデジタル化資料のアクセスを標準化し、相互運用するための国際的な枠組みです。
ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム
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自治体史や古文書をはじめとする史資料を機関ごとに公開しているデジタルアーカイブシステム、135 機関の横断検索ができる。
IIIF(トリプル・アイ・エフ)国際画像相互運用性フレームワーク
IIIF(International Image Interoperability Framework)とは、画像を中心としたデジタル化資料のアクセスを標準化し、相互運用するための国際的な枠組みです。IIFは、サーバーからWeb上のさまざまな環境への画像やオーディオ/ビジュアルファイルの配信を標準化する方法であり、そこでそれらをさまざまな方法で表示および操作できます。
現代の Web ブラウザーは、.jpg や .mp4 などの形式を定義されたサイズで表示する方法を理解していますが、それ以外のことはあまりできません。IIF仕様は、画像やオーディオ/ビジュアルファイルを表示するだけでなく、より豊富な機能を可能にするためにすべてのブラウザがどのように機能するかを定義する一般的なWeb標準と一致しています。画像の場合、これは、ディープズーム、比較、構造(書籍などのオブジェクトの場合、構造=ページ順序)、および注釈を有効にすることを意味します。オーディオ/ビジュアル素材の場合、キャプション、転写/翻訳、注釈などとともに、複雑な構造(1つの映画を構成する複数のフィルムリールなど)を提供できることを意味します。
「IIIF(International Image Interoperability Framework:トリプルアイエフ)」に対応したビューワ
「Universal Viewer」
「Mirador」
「IIIF Curation Viewer」「IIIF(International Image Interoperability Framework:トリプルアイエフ)」に対応したビューワ
「Universal Viewer」
「Mirador」
伊能図 大日本沿海輿地全図
伊能忠敬は、49歳で隠居後、50歳のとき江戸に出て、幕府天文方高橋至時に師事し、暦学・天文を修めます。この勉強中に緯度1度の距離が暦学上の問題となっているのを知り、蝦夷地への測量をはじめとして、寛政12年(1800)から文化13年(1816)まで、日本初の実測による全国測量を実施した。忠敬の没後、その結果にもとづき文政4年(1821)に幕府天文方の高橋景保が編集し、「大日本沿海輿地全図」として完成された。忠敬の測量事業は、当初は個人事業として始められたが、途中で将軍・徳川家斉の上覧を受けるなど幕府に認められ、約80%は幕府事業として遂行された。
忠敬が作成した日本地図は、総称して「伊能図」と言われ、大きく分類すると「大図」(1/36,000:214枚)、「中図」(1/216,000:8枚)、「小図」(1/432,000:3枚)とその他の図となる。このうち、大図は実測図で、これを縮小して中図、小図が作られた。大図作成のための測量は、方位と距離を野帳に記録しながら沿岸や街道を進行する方法で行われた。また、最終の大図1枚の大きさはほぼ畳1枚ほどあり、日本列島を214枚でカバーする膨大なものだった。しかし、幕府提出図は、明治6年の皇居炎上の際に焼失し、東京帝国大学に提出・保管されていた伊能家控図についても、大正12年の関東大震災で焼失した。
国絵図
慶長、正保、元禄、天保年間の4回、幕府による国絵図作成事業が行われた。国絵図は、一国を郡ごとに分けて、村々をすべて図示することを基本とする図である。作成基準は細かく指示された。以下は、正保元(1644年)に作成を命ぜられた。
鳥瞰図 (ちょうかんず)[bird's-eye view]
地図の技法および図法の一種で、上空から斜めに見下ろしたような形式のものをいう。飛ぶ鳥の目からみたように見える、というのが鳥瞰の語義。建物や山などが立体的に描かれる。俯瞰図、パノラマ図ともいう。
単なる平面図においては一定の限定された範囲を二次元上に正確に客観的に表示するのに対して、鳥瞰図では透視図法を使った三次元的な描画あるいはデフォルメ(誇張)が可能なため、目的に応じて制作者の主観や個性をともなう様々な表現が可能である。
海外の歴史的な鳥瞰図としては、レオナルド・ダ・ヴィンチの「トスカーナ鳥瞰図」、ヤコポ・デ・バルバリの「ヴェネツィア鳥瞰図」(1500年)、アルトドルファーの「アレクサンドロス大王の戦い」(1529年)などがある。
海外の歴史的な鳥瞰図としては、レオナルド・ダ・ヴィンチの「トスカーナ鳥瞰図」、ヤコポ・デ・バルバリの「ヴェネツィア鳥瞰図」(1500年)、アルトドルファーの「アレクサンドロス大王の戦い」(1529年)などがある。
日本の歴史的な名所や神社仏閣を描いた鳥瞰図としては、古くは春日大社を描いた奈良時代の「春日曼荼羅」などがある。名所案内図としては、秋里籬島著、竹原春朝斎画「都名所図会」、斎藤月岑、長谷川雪丹画「江戸名所図会」、葛飾北斎「東海道名所一覧」などがある。浮世絵にも鳥瞰図が描かれ、広重「江戸名所百景」の「深川洲崎十万坪」などがある。現存最古の鳥瞰図としては「東大寺領荘園図」がある。
日本の江戸時代までの広域の景観を描いた鳥瞰図としては、室町時代の狩野永徳の「洛中洛外図屏風」に代表される京都の景観、風俗を描いた各種の「洛中洛外図屏風」、江戸初期の建設途上の江戸の名所、風俗を描いた「江戸図屏風」、江戸全景を描いた鍬形蕙斎の「江戸一目図屏風」などがある。
明治時代以降から観光案内図が多く鳥瞰図で描かれるようになった。大正から昭和にかけて活躍した吉田初三郎によるものが知られる。鉄道、自動車の発達による大衆旅行ブームの広がりによりこうした観光案内図が盛んになった。カメラが発達していない時代に、絵葉書に描かれた観光地の鳥瞰図は旅の記念と土産として盛んになった。さらに遊園地やテーマパークや博覧会などの会場案内などにも鳥瞰図を見ることができる。
国絵図
慶長、正保、元禄、天保年間の4回、幕府による国絵図作成事業が行われた。国絵図は、一国を郡ごとに分けて、村々をすべて図示することを基本とする図である。作成基準は細かく指示された。以下は、正保元(1644年)に作成を命ぜられた。鳥瞰図 (ちょうかんず)[bird's-eye view]
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